“捨て去れる” Tシャツを目指してRUE HARKHAデザイナー 藤内 裕司
WORK HARD, PLAY HARD. JUST CHILL, BE YOURSELFを体現している人のライフストーリーを紹介する「RH STORIES」。
第1回は、RUE HARKHAのデザイナーである藤内裕司(とうない・ひろし)をフィーチャーします。
「野球で食っていくつもりだった」大分の学生時代
大分県の別府市で育ち、学生時代は高校まで野球をやっていました。
18歳くらいまで、生まれた時からずっと丸坊主でした(笑)。
野球の格好しかほぼしてないですよね。
高校までは、本気で野球で食っていくつもりだったので。
服に興味を持ち始めたのは野球が終わってからですね。
といっても当時はまだ雑誌を見たり、服を見にいく程度で。
大分はパルコが市内に1軒あって、そこに行って見るくらいでした。
でも入口はメンズファッションじゃなかったんですよ。
当時は女子とばっかり遊んでいて。男の友達って苦手で。
だから雑誌といっても「SPUR」とか女性誌を読んでたんです。あとは「STUDIO VOICE」とかカルチャー誌ですね
「ヨウジヤマモトで働くことしか考えてなかった」専門学校時代と挫折
野球で食っていくつもりでそれが終わったので、じゃ何で食っていくか?ということでファッションという選択肢でした。
大学に行ってもたぶんファッション業界には遠回りになるので、専門学校かなと。
それでどこがいいのかということで、文化服装学院に入りました。
文化は高校時代服飾科にいた女の子とかもう既に慣れている人たちが結構いて、そこに負けたくないって思うと倍以上やらないと追いつかない。
苦しかったですね。食っていく為にはここで一番にならないとヤバイなという
(就職は)ぶっちゃけ言うとヨウジヤマモトでパタンナーとして働くことしか考えてなかった。かなり強気でした。
高校時代にヨウジヤマモトの服に出会い、一瞬で一目惚れでした。その衝撃がずっと忘れられなくて。
ノアールというドレスを中心としたラインのウィメンズのカテゴリがあって、そこのパタンナーをやりたい、その1点だったんです。
そこで3年生の時に面接を受けたんですが、社長面接で落とされちゃって。
もう1回チャレンジしたいと思って専門学校も4年に進んで、夏にインターンをしてまた試験を受けたけどまた同じく社長に落とされちゃって。で、どうしようかと
素材・生地の奥深さに辿り着いたMHL時代
文化服装学院を卒業した後は、アパレルの中で色々な職場・業種を経験したうえでアングローバルという会社に入りました。
その時は27歳で、とにかくどう食っていくという思いで必死でした。先の不安を考えながらも大分に戻るわけにはいかない、と。
MARGARETT HOWELLというブランドに携わるようになったのですが、しばらくして「MHL」というカテゴリを強化するからやってみないかと声をかけられました。
立ち上がったばかりのカテゴリだったので、メンズもウィメンズも、布帛(ふはく)からニット、カットソー、小物まで、色々なことをやらせてもらいました。
それらの企画全般をやって、それこそ素材の開発からやっていたおかげで、普通の人がたどり着かない糸・原料の奥深い世界までたどり着くことが出来たんです。
「ただ売れるものを作る」アパレル界に違和感を感じ、独立。そしてRUE HARKHAとの出会い
MHLに7年間携わったあと、独立しました。
振り返ると本当に良い経験をさせてもらったのですが、アパレルの世界に長く身を置く中で、『売れる』ものを作る為に、『ブランドっぽく』、『流行ってるっぽく』、『今っぽく』作って品揃えするのが物凄い違和感を感じ始めたんです。
別に作りたいものがある人は殆どいないというのがしっくり来なくて。
そこでこういうことの為にこの服作りたい、このブランドやりたい、という洋服屋さんではない人がもしいれば、一緒に仕事をしてみたいと思い始めました。
だけど結局アパレルの中で、アパレルの人とばかり(仕事をすることが)が多い中で、そういう人を探してはいたけどなかなか出会えなかった。
そんな時にたまたま千駄ヶ谷にある白T専門店の#FFFFFFTをやっている夏目さんから『ちょっと面白い人がいて面白いことやろうとしてるから、会ってもらっていいですか?』って声をかけられて。
なんて人ですか、って聞いたら『別府さん』と。 ※別府:RUE HARKHAの代表
(自分が別府市出身ということで)これ行けってことなんだな、何かの導きだなと思ってすぐに会いますと即答しました(笑)。
会ったら、全く今までアパレルと関係ないビジネスの世界から来た人で、やりたいことも明確に無地の白と黒のオリジナルTシャツだけを作りたい、と。
すぐに賛同して、一緒にやることにしました。もう直感ですよね。
RUE HARKHAで追求したい「捨て去れる」Tシャツというテーマ
最高に僕の中でしっくりくるのは捨ててもいいもの、なんですよね。
リサイクルする前にそのままそのへんに捨てても自然を汚さない綿とか、ウールとか、シルクだとか、麻という自然の中に存在する素材できっちり作った服が良いんじゃないかなって最近思うんです。
そこでTシャツは365日着るし、古くなったらパジャマに出来るし、 もう120%役目を果たして捨てていくものなんですよね
それに今の時代って情報が多くて混乱しがちなので、ここからはどう切り捨てるか、整理するか、 感覚にしても物にしても全部そこに限るなと最近思っています。
物も、考え方も、人も、余計なものばっかり集めると動けなくなっちゃうのでそうならないように気をつけないといけない。
洋服のプロダクトもそうなんですけど『この服なんで要るの?』と言えない物が淘汰されていくと思うんです。
だからRUE HARKHAでも想いを込めて本当に良い服作りにこだわりつつ、天然素材を徹底的に追求していって『捨て去れる』服を作るというテーマに挑戦してみたいと思っています。
プロフィール
藤内 裕司(とうない ひろし)
大分県別府市生まれ
文化服装学院卒業
2001-(株)ワイズフォーリビング
2005-(株)アングローバル MHL(MARGARET HOWELL)企画・デザイン
2013- 独立後、Tohnai Design Office設立