RH STORIES

wearing WORK (BLACK / WHITE)

「何をやるかより、誰とやるか」で決めた起業。
スポーツの力をつなぎ、伝える為に
株式会社ユーフォリア 代表取締役Co-CEO 橋口 寛・宮田 誠

WORK HARD, PLAY HARD. JUST CHILL, BE YOURSELFを体現している人のライフストーリーを紹介する「RH STORIES」。今回は、ラグビー日本代表をはじめ、サッカー・バスケットボールの日本代表やプロ野球・Jリーグ・Bリーグのチームにコンディション可視化アプリ「ONE TAP SPORTS 」を提供するスポーツテック企業・ユーフォリアの共同創業者である橋口寛氏(愛称「ハッシー」)と、宮田誠氏(愛称「マック」)をフィーチャーします。

ビジョンだけを掲げ何をやるか決めずに創業した黎明期、その後ラグビー日本代表を支援することになったきっかけ、人生を変える出来事となったラグビーワールドカップの南アフリカ戦まで、二人のライフストーリーを振り返りながら紹介していきます。

たまたま参加した勉強会で出会い、「こいつとなら」と決意した起業

– まずは、二人が創業したユーフォリアという会社が、どのようなサービスを提供しているか教えていただけますか?

(マック)

ユーフォリアは、ONE TAP SPORTSというクラウドのサービスによって、アスリートのコンディション、体調を見える化してチームが最適に力を発揮できるサポートをするシステムを開発している会社です。

(ハッシー)

大きな問題意識として、子供たちがスポーツを始めて、怪我してスポーツを辞めてしまう子が実はすごく多いんですよね。

そういうことがないように、ずっと健康で長くスポーツを楽しめて、人生でも色々な活躍ができるように非常に長いスパンにわたってユーザーの方とお付き合いするサービスですね。

– そもそもお二人の出会うきっかけは何だったのですか?

(マック)

とある、すごく怪しげな勉強会があって、そこに行ったらハッシーが先生だったんですよ。

(ハッシー)

怪しくねーよ(笑)。
当時僕はアクセンチュアをやめて、独立して個人事業主をやっていたんですけど、たまたま板倉雄一郎さんという有名な起業家の方が、ファイナンスを世の中に広めたいと助手を募集していて。
それに応募して手伝うようになったんです。

(マック)

僕は当時ブリヂストンという会社でマーケターをしていました。
そのファイナンスの勉強会で出会った仲間は同世代が多くて、よなよな世の中にとって良いことしたいよねとか、ずっと酒飲んでうだうだ話をしていました。
それが意気投合するきっかけに繋がっていったんですね。

(ハッシー)

それが2005年くらい。
ユーフォリアを創業したのは2008年なんですけど、それまでの4年間くらいは二人でめちゃめちゃ飲んだんですね。
今からは想像つかないと思うんですけど(笑)。※編集注記:二人とも大のお酒好き
そこで何のために生きて何のために死ぬとか、良い社会にしてちゃんと次の世代に受け渡していきたいという話をして、お互いが持つ人生観の部分とかにリスペクトを持てた。
ちょうど起業したいなと思い始めた時期で、起業する時に誰とするかはめちゃくちゃ大事だと思っていた。
起業するならこいつとしたいなと思ったのが2008年のちょっと前。
二人である晩話し合って、起業しようぜとなった。

(マック)

タイミングがすごく合ったんですよ。
ハッシーの独立のタイミング、僕も転職のタイミングやいろんな失敗をした後にその勉強会に行ったというタイミングがすごく合って。
ターニングポイントが合うのって理屈じゃないじゃないですか。
だから二人で起業することは、自然な感じでしたね。

出会ってからの4年間、「二人でめちゃめちゃ飲んだ」日々

「つなぐ」の3文字だけを載せたホームページで始まった会社の歴史

– 起業して何をやりたいかは決まっていたのですか?

(ハッシー)

そもそも創業した時は何やるか決めていなくて、誰とやるかだけ決めていたんです。
今振り返ったらその順序でよかったなと思うんですけど。

(マック)

世の中にとって価値あることをしようぜというのがコアにあった。
世の中に価値あるものがいっぱいあって、日の目を見ないことってたくさんあるじゃないですか。
今の僕らが目の前にしているアスリートの方々とか。
そういうのを僕たちの力でつなぐことが出来るんじゃないかって。
だからコンセプトは「つなぐ」、その3文字だけを載せた1枚のホームページを作ってスタートしたんですよ。

(ハッシー)

究極的に抽象度の高いページだったね(笑)。

(マック)

でもなんかね、二人ですごいしっくり来て、これいいじゃんって。
価値、つなぐ、残す、掘り起こすとかいくつかのキーワード。そんな話ばっかり何年もしていたから。

(ハッシー)

最初の数年は、色々なサービスのプロトタイプをまわしながら、生活の糧をコンサルティングで稼ぐ、ということをずっと並行してやっていた。
今はONE TAP SPORTSというクラウドのソフトウェアでアスリートの怪我を防ぐという事業をやっていますけど、その入り口に辿り着いたのは2012年。創業してから4年経った時でした。
しかもその時点でもたくさんやっているうちの1つだった。

– 具体的にはどのような事業にトライしたのですか?

(マック)

めっちゃあるんですけど、端的に言うとシェアリングエコノミーという言葉が生まれる前に、ああいうことをしようとしていました。
飲食店の空きスペースとか、廃棄されるくらいにロスになってしまうものをつなぐとか。
当時ガラケーにGPSがついたばっかりの頃だったので、位置情報使って近くの人にクーポン配布したら呼び込めるじゃんみたいなのを作ったりとか。
でもたぶん早すぎた、スマホもなかったんで。
そういうのを作ってはやめ、作ってはやめみたいなのを数えきれないくらいやりましたね。
ただ根底はずっと変わっていないんです。
僕らビジョンしかなくて起業しているから、一本筋通してありとあらゆることをやっているだけだったんですね。

(ハッシー)

振り返ると、ただただ全部楽しかったなって。

(マック)

めちゃくちゃ楽しかった。
お金を稼ぐ為にコンサルティング業もしていたんですけど、稼いでも稼いでも、サービスの開発費に消えていく。
お金がなくて、給料何ヶ月もないみたいなのを平気で乗り越えてきたから、どん底に強いのだと思います。
今はコロナだったり、その前は金融危機とかたくさんのことがこの10年くらいあったけど、どん底の時にもブレない。底を知っているから。

お互いの“らしさ”を感じる時は、「ハッシーの危機が起こった時の爆発力と集中力」(マック談)
「マックがパーティーで騒いで、圧倒的なハッピーオーラで場を支配している時」(ハッシー談)だそう

知人の紹介で始まった、ラグビー日本代表の支援。そして運命を変えたラグビーW杯の南ア戦

– ユーフォリアが飛躍するきっかけとなった、ラグビー日本代表のサポートはどのような経緯で始まったんですか?

(マック)

僕らの仲間がラグビーの元選手で、日本代表のスタッフもやっていて、その彼からの相談がきっかけでした。

(ハッシー)

ラグビー日本代表チームからの相談は選手のコンディションを可視化するツールというのを、ラグビーの現場で使えるようにできないかということだった。
当時のユーフォリアはまだ我々二人とエンジニア、3人だけの会社でした。

(マック)

日本代表のラグビーチームというのは本当に優秀で、頭の良い人たちばっかりだったので、その人たちが考えていることに対して僕らが応えられるかが勝負だった。
でも僕らだったら出来るんじゃないかという謎の確信があって。
すごく要求の高い、ラグビー日本代表というトップカテゴリーのチームに鍛えてもらったのはラッキーでした。
入口が違うカテゴリーだったらまるで違うものになっていた。

– その後、ラグビー日本代表をONE TAP SPORTSというコンディション可視化ツールによりサポートしていくわけですね。そのONE TAP SPORTSが大きな注目を浴びるきっかけとなった、2015年に日本がワールドカップで南アフリカに勝利した時のことを振り返っていただけいますか?

(ハッシー)

2012年に関わり始めて、2015年が南ア戦だったのでちょうど3年くらい経った頃でした。
まず勝つと信じているって口では言っているんだけど、魂では信じられないわけですよ。
相手は南アフリカですよ。
もう100-0で負けるんじゃないかと思っている中、前半をほぼ互角で終わって。

(マック)

僕らは現地に行っていなかったんですけど、仲間とHUBで見ていて。
ハーフタイムくらいで、これは後半勝つか勝たないかでもう会社の運命、というか僕らの人生は変わるなって思って見てました。
その後、後半もずっと互角で試合が進んで。
(最後に日本代表がペナルティゴールによる引き分けではなく、スクラムを組み勝利を狙うという選択をした時)僕はラグビーに関して素人だから、これは勝たないと歴史変わらないからそうでしょって見ていたら、隣でハッシーが誰よりも早く「ショット!」と叫んでいて(笑)。

(ハッシー)

絶対に引き分けに出来るのに何やっているんだと思った。
でも最後そこでペナルティゴール狙わずにスクラム組むんだって、もうそれだけでダァーって号泣してしまって。
(結果日本は南アフリカに勝利をして)、その時の選手の皆さん、今でもアドバイザーやってもらったり付き合いがあるんですけど、「本当にあの時にあの選択をしていただいてありがとうございました」といつも申し上げるんですよ(笑)。

(マック)

当事者の一部として、あれだけの大一番で歴史が変わるのに立ち会うなんてないじゃないですが。
それはね、たぶん一生忘れない。たぶんじゃないな、絶対忘れないな。

(ハッシー)

今でも忘れられないのが、試合終わって泣きながらみんなとハグして、終わって外出たら明るくなってたんですよ。
タクシー乗って、(国道の)246を走りながら完全に世界が一変したように見えたんですよね。
次の日も一睡もせずに朝9時くらいに仕事に行ったんですけど、完全にどこを見ても輝いて見えるっていう。
これはもう本当に忘れられない、ユーフォリアとしての原体験ですね。
単純にビジネスとして成功したとか、売上が上がったとか、そういうことを超える魂が震える経験だった。
その力がスポーツにあるというのが一番最初の経験としてあったのはめちゃくちゃでかいですね。

二人で創業したユーフォリアは、今では35名のチームに(2021年6月現在。写真は2019年)

スポーツの力を伝え、より良い世界を次世代へ届ける為に

– 2015年の南アフリカ戦勝利によって、それを支えたONE TAP SPORTSが今ではサッカー・バスケットボールの日本代表やプロ野球・Jリーグのチームなど幅広いスポーツに普及しました。今後はどのようなことを実現していきたいですか?

(マック)

スポーツの力って素晴らしいねってみんな言うじゃないですか。
その力をちゃんと分かりやすく見える化して、世の中を良くする為に活用したいですね。
最近は、ONE TAP SPORTSで支援しているチームと組みたいという一般企業が増えてきたんですよね。
そういう企業とチームをつなぐ、例えば企業が売り出したいシューズとか服があって、僕らがチームと一緒になってそれらの商品を使用したデータを作り出す。
そのデータを一般の人が参考にして商品を買ったり使うようになったら、それもスポーツの力が世の中に伝わったっていう1つの形なんじゃないかと思っていて。
そういうことをどんどん広げていきたいです。

(ハッシー)

最初はラグビーのトップカテゴリ(=日本代表)、そこから色々な競技のトップカテゴリ、そこからだんだん大学とか、高校とか、その下のジュニアとかどんどん広げていっているんですけど。
広げるに連れて、解決できるものが増えているという実感があるんですね。
例えばアスリートの人生全体に亘る長いスパンという時間軸の話や、競技という側面だけじゃなくて、メンタルのあり方とか自己肯定感、自己決定能力とかを醸成する基盤的な話であるとか。
あるいは家族とか。例えばステージママとか、たまたまスポーツの知識がなくて暴力的な指導をしてしまうというようなことがあると、家族関係そのものまで壊れてしまうケースがあるんですよ。
アスリートだけじゃなくて、家族とか、指導者との関係とか、指導者の持っている悩みごとを解決するとか、本当にたくさんの周りにある課題を解決したいと思っている。
根底の思いとして、これから生まれてくるスポーツに関わる将来の世代に対して、良いものを作って手渡していきたいという思いはありますね。

プロフィール

左: 橋口 寛(はしぐち ひろし)

大阪府出身。野球に熱中するも成長期に投手として投げ過ぎたことから中学入学の頃から長く肘痛に悩まされた原体験を持つ。

早稲田大学教育学部卒業後、メルセデスベンツ日本法人、米国ダートマス大学Tuck School(MBA)、アクセンチュア戦略グループを経て、コンサルティング事務所を設立し独立。

2008年に株式会社ユーフォリアを創業。

また、慶應義塾大学大学院システムデザインマネジメント(SDM)研究科 特任講師として、Sports X Conference / Sports X Leaders Programを主宰する。

趣味は今も年間200本以上観るという映画観賞とスタジアム巡り。

twitter @hhassy

右: 宮田 誠(みやた まこと)

長野県出身。白馬村在住の親族3名に冬季五輪選手(アルペンスキー)がいた影響から、自身も学生時代に選手生活(スノーボード)を送る。

明治大学商学部産業経営学科卒業後、財閥系商社や株式会社ブリヂストンのマーケティング職を経て、2008年に株式会社ユーフォリアを創業。

ルーツのある白馬村を中心に、各地でマラソン・トレイルランニング・スキー・スノーボード等の国際大会の主催・運営、スポーツマーケティング/コンサルティング事業も手がける。

趣味はバックカントリースノーボード、サーフィン、トレイルランニングなどアウトドアスポーツ全般。

twitter @mac1031