RH STORIES

wearing PLAY

雑味のない存在でありたい。
「人と生きるとは何か」の答えを求めて
エッセイスト 紫原 明子

WORK HARD, PLAY HARD. JUST CHILL, BE YOURSELFを体現している人のライフストーリーを紹介する「RH STORIES」。今回は、起業家・家入一真と10代で結婚・出産、離婚を経て、著書『家族無計画』をはじめとして様々な媒体でエッセイストとして活躍する紫原明子氏をフィーチャーします。

人間関係に苦労した幼少期。大学へ進学せずに、ジャズボーカリストを目指す

生まれは福岡県筑後市で、お父さんが転勤族だったから五島列島だったり佐世保に住んだり、小学校に入るまではずっと転々としていました。
中学からは、私立のキリスト教の中高一貫の学校に入って。
勉強はすごくがんばっていたんですけど、あまり人間関係が得意じゃなかったんですよね。
私は色んなことに配慮が出来ないんだなって気付かされる連続で。
人はこういうことを言うと傷つくんだとか、私は傷つけるつもりじゃなかったけど、傷ついた人がいるっていうことがずっと定期的に起こって。
だからあまり中高楽しくなくて、一人でいることも割と多かった。
勉強も出来たから大学に行くとみんな思っていたんですけど、なんか嫌になったんですよねそこで。

でどうしようと思っていた時にインターネットにはまったんです。
ジオシティーズ(※かつてあった無料のウェブサイト提供サービス)に自分のホームページを作って、そこで詩とか日記を書いていました。
そうこうしているうちにメール友達が出来て、4歳上の男性だったんですけど、すごく意気投合して。
会うようになって、付き合うようになってこの人と一緒になればいいやという気持ちになり、彼と同棲しながら(大学に行かず)福岡コミュニケーションアート専門学校というところに行ったんです。
ジャズボーカリストになろうとしていたんですよ。

学校に入って3ヶ月くらいで、先生に現場で習った方がいいからと、「中洲のグランパ」に会いに行ってオーディションを受けなさいと言われたんです。
言われたお店に行ったら、作務衣を着たおじちゃんがバーの中に立っていた。その人が「グランパ」で。
さらにカウンターにはまた作務衣を着たスキンヘッドの人が座っていて、ここは何なんだと(笑)。
18歳だったので1回も夜の街に繰り出したこともないし、バーカルチャーも知らないしどうなっているんだろうと困惑していたら、「じゃオーディションする前に1曲聴いていきなさい」と言われて。
グランパが歌い出したら、衝撃の美声を轟かせて。もう声がルイ・アームストロングなんですよ。
そうすると今度はカウンターに座っていたスキンヘッドのおじちゃんが「じゃ私も1曲」って、琵琶を演奏してくれて。中洲の夜ってすごいなと(笑)。
そこからやっとオーディションが始まって、確かFly me to the moonを歌ったんですけど、結局そのオーディションは落ちちゃって。
でも後日そのグランパから、エラ・フィッツジェラルドという私が好きなジャズシンガーのCDが届いて「今時ステージシンガーになりたいっていう人は大事だから、がんばってね」って付箋に書いてくれていたんです。

18歳で結婚、19歳で出産。夫の起業が成功し東京へ

結局その3ヶ月後に学校辞めたんですよね、(当時はもう)同棲していた彼と結婚していて、それで妊娠したんです。
その時彼はサラリーマンだったんですけど、妊娠して8ヶ月くらいの時に、会社を辞めて起業すると言われて。
もう止めようにも止められない感じで、(もし起業が失敗しても)最悪実家もあるしいいやと、「分かった」とOKしました。
だから子供が生まれた時というのが、一番起業で大変な時だった。
当時19歳だったけど、でも楽しかったんですよね。
つらい学校生活があって、でも夫と出会って、この人といると楽しいことがあると思って。
そしたらずっと楽しいことばっかりだったらいいなと思うから、どんどん次の楽しいことをやっていこうって。
結婚も楽しいことのひとつだったし、その後はじゃ出産だって。
昔は変わらないことが苦痛でどんどん次のことを知りたい、新しい人と出会いたい、そういう気持ちが強かったんですね。

最初は久留米にある6万円で3LDKの駐車場付きというマンションに住んでいたんですよ。
でも立ち上げた会社が思ったよりも急に人気になったから、あまりに中心地から離れていて人手が集まらないということで福岡市内に引っ越して、その後もちょっとずつ中心地に近づいて行ったんですね。
何軒目かに住んだのが高層マンションの上の方だったんですよ。
田舎者だったので住んでみたいという夢もあって。でも住んだはいいものの知り合いも友達もいないし、高層マンションの20階以上のところに住んでいると完全に俗世から切り離されちゃって。
ちっちゃい赤ちゃんと二人でぬめっとした毎日をずっと過ごすみたいな。

(そんな時に)夫が作った会社が、東京からM&Aの話が来て。(次のことを)やった方がいいマインドが継続してあったから、行こうよってなって。
それで家族で東京に引っ越したのが22歳の時。
そこで東京に出てきて人付き合いが初めて楽しいと思えたんです。
最初に引っ越したマンションで、隣に子供がいる奥さんが住んでいて色んな所を教えてくれて、その人のおかげでお友達も増えて。
周りのママ友は初産の平均が30代後半くらいで、そこで20歳そこそこの私が入っていくと珍しいし可愛がってくれたんですね。
それがすごく心地よかった。
今までは、だた年齢が同じとか、女子とか、属性だけで小さいところに入れられるのが本当に嫌だったということがその時に分かったんです。

世の中への信頼が揺らいだ離婚。パンに救われ、パンをきっかけにエッセイストの道へ

そこから夫婦不仲が訪れるんですよね。
夫はどんどん忙しくなって知名度が上がっていって、やっぱり東京に出てきて雰囲気が変わった。
何かおかしいと思いつつも仕事だしそれでいいのかなと思って生活していた時に、ごまかしきれないものが出てきた瞬間があったんです。
で、それが出てきた瞬間から夫は失踪したんですよ(笑)。
怒りもあるし恐怖にもなってくるんですよ、誰よりも知っているはずの人が全然知らないところがあるかもしれないって分かってきたら。
それで世の中に対する信頼が揺らぐんですよ、専業主婦にとっての世の中って夫だったから。
結構本当に大変で、子供がその時は二人いて。

すごく塞いだけど、やっぱり塞いだところで何も解決しなかったんですよね。
子供たちも色んな人と会った方がいいと思って、色んな人を家に招くようになって、するとその中の一人が仕事に繋がる良いきっかけをくれて。それで小さい出版社に就職することが出来たんです。
である程度仕事が自分にも出来そうだって目処が立った時に、別居していた夫が突然やってきて、都知事選に出馬するって言い出したんですよ(笑)。
本当にそれも止めたんですけど、でもその時の彼は都知事になっているから、気分は。
これはまた言っても無駄だなと思って、それだったら今もどうせ一緒に住んでいないしこのタイミングでちゃんと別れようってなって、翌日に離婚届を出しに行きました。

(その頃)癒される為にパンを焼き始めて、すごぐそれが楽しくて。
ちゃんと私がこうなってねって思ったように従順に変わっていく。その素直さとか、ぬくもりとか、今まで無かったものがパンを焼くことで手に入れることができたという気持ちになれた。
でその時に「パンブログ」を書き始めたんですね。
最初は今日こんなパン焼きましたみたいな内容だったんですけど、途中から一般的な夫婦関係の話とかも書き始めて。
当時セックスレスが話題になっていて、そこに何か強い思い入れがあるわけじゃなかったんですけど、まぁこうじゃないみたいなことを書いたらそれがすごいバズったんですよ。
そういう中であなたのブログ面白いねって連絡をくれたビジネスマンの方がいて、こういうのを書いてみたらいいんじゃないっていう風にアドバイスしてくれるようになったんですよ。
それで言われるままにケイクス(※記事コンテンツの配信サイト)へ売り込みに行って、「家族無計画」という連載が始まることになって。
更にちょうど朝日出版社から本を出さないかというオファーがあって、その連載をまとめて出版することになり、パンブログが(最終的に)本になったんです(笑)。

「雑味のない」理想の人間関係を追い求めて

書く時というのは(話す時と違って)そこに存在はあるんだけど、姿はぼんやりとしか見えていない、私と大勢の中間のものが書けると思っていて。
誰かと話す時はその人の為に話すとか、ちょっと恩着せがましい気持ち、役に立てばいいなとか傲慢な気持ちも生まれるけど物を書く時は誰のためでもない。
瞑想みたいな感じですかね。
置いておきますよ、好きな人は読んでくださいねっていうのが出来ると一番良くて。
今私がやっている「もぐら会」っていうコミュニティがあって、そこでは書く時にやっているようなことを話すことでも出来ないかと思ってやっているんです。
輪になって、一人ずつ順番に自己紹介とか、今日の体調とか今思っていることとかを、時間を気にせずに、うまく話さなくていいからとにかく正直に話そうという会なんですね。
話して“あげる”とか、聞かせて“もらう”とか、そういう強いギブアンドテイクの関係は発生しない。
そういう風に人間関係を作っていきたい、それが私の理想で。

ずっと自分の中で問いなのは、「人と生きるとはどういうことなのか」なんですよね。
私はすごく寂しがりやだけど、一方で人といると疲れるしずっとはいられない。
離婚も自分の中で大きなインパクトを持っているんですね、やっぱり。
私自身は人と関わる時に出来るだけ雑味のない思いを受け渡したいと思うんですよ。
雑味こそ人間味だと愛おしく思うときもあるけれど、今まで人と接してきた中で、どんな大人にも純粋なものがあるというのは知っているんですよね。そしてそれが表れる瞬間に立ち会ったことは、なぜかずっと忘れられない。
だから私もできるだけそうありたいと思うんです。見返りを求めたり、感謝を求めるみたいな気持ちを持たずに、あるいは認められたいとか尊敬されたいみたいな気持ちとかを持たずに、できるだけ純粋なもので人と関わりたいなと。
自分がどうやったらそれを出来るようになるか、自分と周りの人たちでどうやってそれを受け渡していけるかっていうことを模索しているのかなって思うんです。

プロフィール

紫原 明子(しはら あきこ)

エッセイスト。

1982年福岡県生まれ。高校卒業後、音楽学校在学中に起業家の家入一真氏と結婚。のちに離婚し、現在は2児を育てるシングルマザー。個人ブログ『手の中で膨らむ』が話題となり執筆活動を本格化。

著書に『家族無計画』(朝日出版社)、『りこんのこども』(マガジンハウス)。

その他、他者との会話を通して、自分と世界とを“自分自身で”掘り深めていくためのオフラインサロン『もぐら会』を主宰するなど多彩な活動を行う。

趣味は読書。また少し前からダンスを見ることにもはまっており、最近は見るだけでは飽き足らず、ウェーブの練習を始めました。

twitter @akitect