RH STORIES

wearing CHILL

覚悟を持って、心躍り続ける。
『ご近所物語』から始まった”創る人生”
ブライダル情報誌副編集長 一ツ木 優子

WORK HARD, PLAY HARD. JUST CHILL, BE YOURSELFを体現している人のライフストーリーを紹介する「RH STORIES」。今回は、結婚情報誌の編集長として活躍しつつ、娘の妊娠・出産を機に始めたインスタグラムがきっかけで自身の子ども服ブランドを立ち上げた、一ツ木優子氏をフィーチャーします。

『ご近所物語』に憧れ茨城から東京へ。オタクの世界にのめり込んだ女子高生時代

生まれは茨城の古河市。前の駅が埼玉、次の駅が栃木という本当に“狭間”の場所でした。
イオンとイトーヨーカドーが唯一のエンターテインメントみたいな場所でした(笑)。

当時、一緒に住んでいた叔父が毎週『ジャンプ』を買っていて、それが漫画の世界にハマる入口でした。
『スラムダンク』や『るろうに剣心』の時代ですね。そこから間も無くして、『りぼん』に出会いました。
小学校3・4年の時に、ちょうど「ご近所物語」の連載が始まったんですけど、もう今まで読んだ少女漫画とはまるで違っていて、とにかく衝撃を受けたんですね。
(登場人物の)彼女たちは原宿にいて、で「原宿ってどこだ?」との興味から母親にお願いして夏休みに連れて行ってもらったんです。
行ってみたら、「こんな人たちがいるの?」「こんなに店あるの?」って、色々衝撃を受けて、「東京ってすごい、世界にはまだまだ知らないことがたくさんある」と感じて。
それが、受験勉強して中学は東京の学校に行こうという原動力になりました。

受験勉強の末、中学からは東京にある私立の女子校に通うことになりました。
進学校だったので、あっという間に劣等生になっていくんですけど(笑)。
漫画が好き過ぎて、オタクにのめり込んでいってしまって。コミケとか行ってましたね。

私は幼い頃から、「好きなことしなさい」と、母にずっと言われ続けて育ちました。
母は高校を出てすぐに家業を継がなくてはならず、大学に進学し仕事で丸の内をヒールで闊歩するという夢を断念せざるをえなかった。
だから自分の子どもが「やりたい!」と言ったこととかは全部やらせることを決めていたらしいです。
それを言い続けられてきたので、自然と好きなことにのめり込むような人間になっていったのかなと思います。

漫画以外にも、学生時代はずっと剣道を続けていた。そこで「負けず嫌いな性格が培われた」

家族を支える為に、大学1年から始めた就活。自分を変えてくれた出版業界を目指して

そんなオタクまっしぐらな中高生活を送っていたのですが、実はその頃実家の家業が傾き始めて。
もう銀行に担保、担保、負債、負債みたいな状況で。最終的に家業を売り払うことになりました。
母親が金庫を開けてため息をつく光景を毎日見て、家族に苦労をかけたくない、私は社会人になってこの人たちを守れるようにしないといけないと強く思うようになったんです。
ちゃんとした大学へ行って、ちゃんとした収入を得ることを使命として背負おう、と。

だから大学受験をする際も、将来を考えた時に自分は別にコネも無いし、何か秀でたものも無いと思っていたから、分かりやすく学歴が必要だなと。
一浪の末、青山学院大学に受かりました。
入学してすぐに、もう仕事を意識しようと思って、大学1年から就活を始めたんです。
色々な企業の人に話を聞きに行ったり、大学2年からはSPI(採用に使われる適性検査テスト)とか一般常識の問題を解き始めていました。
当然大学1年から就活をしている子なんて周りにいなかったし、変な奴だな、やたら気張っている奴だなという感じで見られていたかな。
でもその就活に加えて、大学は全部自分のお金で行ったから、奨学金以外の生活費を稼ぐ為にバイトを5つ掛け持ちしていたので、周りを気にする余裕も無かった。

OB・OG訪問を通じてたくさんの職種の方にお話を伺って、やっぱり心躍ったのは出版と代理店でした。
私、大学入った時は今より13キロくらい太っていて、ショートカットで眼鏡、みたいな感じだったんです。
青学のキラキラ女子がたくさんいる環境でどうしようとなっていた時に、『non-no』を開いたら、ストリートスナップ企画に一般人でも可愛い子がいっぱいいて。
私はただ言い訳しているだけじゃないか、ちゃんと自分に向き合えば綺麗になれるかもって思ったんです。
そこからダイエットして、コンタクトにして、身なり整えたら、クラスの男子から話しかけられるようになった。
「あ、自分が変われば周りも変わるんだ」って。
そんな変わるきっかけ=情報を発信していける広告や雑誌に関わる仕事をしたいと思ったんです。

一番行きたかった出版社には、最終面接で落ちてしまって。すごく落ち込みました。
その結果を見て号泣していた時に、今の会社から一次面接の電話が来たんです。

実は大学3年の時に、その会社で働いていた先輩経由で、イベントを手伝うことがあって。
その時に一緒に仕事した男性社員の方が、“学生のくせに”と横目に見る感じが全然無く、対等に接してくれる人で、私たち学生の意見きちんと尊重してくれたんです。
それがすごく気持ちよかった。
この会社の人たちと働いたら、一緒に前を向いてまっすぐ走れるかもしれないと思えた経験でした。

夫と愛娘の3人家族。休みの日は一緒に公園やイベント、旅行に出かける

営業で鍛えられた新人時代を経て、念願の出版部門へ異動

そういう縁もあり、内定が出てそのまま入社を決めました。
入社後に最初は編集希望と出したけどさすがに最初からそううまくはいかず、まずは営業からスタートしました。
担当は飛び込み営業から始めたのですが…初めて入った飲食店がたまたまうちの会社が嫌いなお店で(笑)。
入って名乗った瞬間に「出ていけ!」と言われて。でもその経験がベースになったから、逆にその後はやりやすかった。こういうことね、って(笑)。

おかげさまでその後は順調に営業でキャリアを積んでいたのですが、3年目の夏に休みで地元へ帰ってボーっとしている時に、「私営業やりたかったわけじゃないわ」ってふと思い出したんです。
社内転職制度を使って出版部門に希望を出して、異動することになりました。

そうして編集を始めるのですが、(全く違う畑なので)それまでの営業での実績は関係なく、もうオールリセットでしたね。
朝まで泊まり込んで仕事とか、無我夢中に働きました。今はそういう働き方はしていませんが(笑)。
自分が一緒に仕事したいと思っていたカメラマンさんやスタイリストさんと仕事できるのが嬉しすぎて、それが仕事の大変さに勝っていました。

好きなことをやるって、本当に趣味だけだったら、嫌なことやらなくていいんですよね。
でも仕事ってなった時に責任が生まれる。辛いことも多いから、そこも合わせて飲み込んでいかないといけない。
(好きなことを仕事にするということは)もちろん好きなことだけじゃないという葛藤とどう戦っていくかっていうことも含めて、向き合わなきゃいけなくなるから。
そういう考え方だったり、過去の色々な経験を経て、苦しいこともプラスに捉えるマインドになっていったのかもしれないです。

娘の出産を機に新たなチャレンジへ。覚悟をもって、心躍り続ける

子供が出来て、世界の選択肢が増えた感じがします。
別に子どもが生まれたからゆとりのある生活が欲しいとか全然思わないし、子どもと一緒には居たいけど、自分の時間も欲しいし、働きたいといういうのは変わらなかった。
ただ子育てをすることで精神の学びだったり、全然自分が触れてこなかった領域のものに触れるから、こういう世界もあるんだという発見にもなった。

ただ、時間の使い方にはシビアになりました。
前は24時間全部自分の時間だったから、何をどう使おうが平気でしたが、今は朝起きて保育園送って、迎えに行ってからは娘との時間。
自分のフリー時間になっても、家事・育児の時間は出産前より圧倒的に増える。だから、自分に使える時間が、こんなにも減るんだっていうのは結構衝撃で。
だから、仕事で例えば5時間かけていた仕事って、本当に5時間必要だったっけ?とか、ミーティングもこのまま話していくと終わらないなと思ったら1回止めて、これはこういうふうに話していったら良いと思うんだよねと議論の順番を替えるとか、すごくシビアになったと思います。

出産を躊躇している女性で、「今は○○があるから」と思っている人も多いと思うけど、仕事をしている限りそれはずっと続くんですよね。
周囲にはあまり話していないのですが、一度流産しているんです。そのこともあったから、子供を産むのは当たり前じゃないな、と。
子どもが欲しいって、理屈じゃない、感覚的で本能的なものなんですよね。
キャリアが理由で悩んでいるのだったら、踏み出してみた方がいいと思います。
ちゃんと積み重ねてきた人には、子どもを産もうが、産休取ろうが、その後絶対仕事くるから、そんなに不安にならなくてもいいんじゃないかと思う。
実際、復帰してからもちゃんと忙しかったので(笑)。

今も仕事が一段と忙しくなっているのですが、実はそんな中で子ども服のブランドを始めたんです。
産休に入って、時間が出来たのでまた「自分がやりたいことをやる」の精神で、1回本気でSNSというものに向き合ってみたら、何か見えてくるのだろうかという実験で娘の成長を発信するインスタグラムを始めて。
プロモーションの仕方や、写真の撮り方など、学ぶことが多くて。
そのインスタがきっかけで、「ご近所物語」に憧れて、高校は服飾の専門(学校)も考えたくらい服が好きな自分の想いを子ども服という形で新しいチャレンジをしようと、ブランドを始めました。

OG訪問とかで、時々「将来何を目標にされていますか?」と聞かれるのですが、聞かれる度に私は「今を続けることが目標」と答えるんです。
自分の心震えるものを、一緒に前を向ける人たちと作り続けること。
覚悟をもって、心躍り続ける。それが私にとって一番大事ですね。

プロフィール

一ツ木 優子(ひとつぎ ゆうこ)

ブライダル情報誌編集長。

1986年、茨城県古河市生まれ。
2009年、営業職で現在の会社に入社、2年半後に編集職へ。

娘の出産を機に、インスタグラムで育児アカウントを開設。
2021年、自身の子ども服ブランド『parc』を立ち上げると共に、ベビー用品のハンドメイドショップ『atelier_hana』をインスタグラムにて展開中。

instagram @baby_hana0715

子ども服ブランド parc
parc-closet.stores.jp
instagram @parc___closet

ベビー用品ハンドメイドshop
instagram @atelier_hana