WORK HARD, PLAY HARD. JUST CHILL, BE YOURSELFを体現している人のライフストーリーを紹介する「RH STORIES」。第3回は、平手友梨奈のMVやAimer、Candy Foxx、ピプノシスマイクなど様々なアーティストのスタイリストとして活躍する高橋毅氏をフィーチャーします。
ファッションに目覚めるきっかけは、小3の時に買ったアディダスのジャージ
東京の東村山に生まれ、小学校入ってから高校卒業までは埼玉の所沢に住んでいました。
今はスタイリストとか衣装デザインという仕事をやってるんですけど、その原点は小学校の3年くらいの時に行った市民フェスティバルで。
そこに出店していたスポーツ屋さんが、アディダスのトラックスーツのセットアップを上下で700円でいいよみたいな感じで売ってくれて。
そこからアディダスの3本ラインのセットアップを着たり、アシックスの上下のジャージとか、小学生なりに自分で意識して服を買うということを始めたんです。
それをオシャレだからやってるということではなくて、自分が好きだったからそれを選びたいという感じだったんですよ。
高校の同級生のお兄さんへの憧れから、美大へ
マラソンをするのがすごく嫌いで、マラソン大会がないということで中野の方にある私立高校を選んだんですよね(笑)。
年に1回、たった2-30分走るだけなのにそれが嫌だって思ったんです。
そこで一緒にテニス部にいた仲間の同級生に3歳上のお兄さんがいて、その人がめちゃくちゃカッコよかったんですよ。しかもめちゃくちゃオシャレで、その人に会いに行くのが楽しみだった。
ある時、その人に「お前どうすんの、大学?」みたいな話をされて。
もうね、5流大学も推薦取れないよってくらいバカだったんですけど、国語と英語だけやたら成績が良かったんですよ。
「それ美大しかねーな。国語と英語と小論文と実技だよ、美大は」って、(そのお兄さんに)言われて。
先輩がそもそも美大受験をする浪人生だったんですけど、その先輩が先にムサビ(武蔵野美術大学)に受かったので、先輩のいるムサビに俺も行きたいと思って。で一浪して受かったんです。
「出社前に服が見られる」から選んだ最初の会社と、リリー・フランキーとの出会い
短期大学部だったから2年間しかいないわけですよ。その中で将来のこと考えろなんて結構無理な話で、進路についてもふわってなってたんですよね。
という時に、学校の就職掲示板に衛星放送の会社でグラフィックデザイナー募集みたいなことが書いてあって。
そこが外苑前と原宿の間くらいの所だったんですけど、場所がいい上にフレックスだから服見れるじゃないですか(笑)。
出社の前に服見られるからここがいいなって、受けたら受かって。
その会社に出入りして仕事していたのが、リリー・フランキーだったんですね。
(当時は)サブカルチャー的なコラムとイラストをメインにやっていた時期で、まだ今ほど有名になっていない頃で。
リリー・フランキー担当になりますと言われて、「えっ、俺英語喋れません」「いや、普通に(日本人の)男の人だから」みたいな(笑)。当時はリリー・フランキー自体知らなかったから。
でリリーさん担当になって、そのリリーさんが締切になっても全然絵を描いてくれないんですよ。
仕方ないからリリーさんの家に行くわけですけど、それでも描いてくれなくて。
で「じゃ飲み行こう」って言われて飲みに行って、朝リリーさんの家に戻って。
次の日のお昼くらいに、パパッと描いてくれた絵を持って、会社に戻ってスキャニングしてみたいな。そんなことを繰り返していたんですね。
リリー・フランキーの一言で、思いもしなかったスタイリストの道へ
しばらくすると、その会社が浅草橋に引っ越すとなって。
(出社前に服を見られるという)魅力がなくなって、会社を辞めますとリリーさんに言ったんです。
そうしたら飲みに連れて行ってもらって、そのままリリーさんの家に泊まって、次の日もまた飲みに連れて行ってもらって…気がついたら半年以上経っていて。
ある日突然「お前服好きじゃん。スタイリストになれよ」って言われて。
スタイリストって知ってるけど、何する人かも分からない、興味を持ったこともないという状態でした。
そこで、リリーさんもムサビ(出身)なんですけどムサビの時の同級生の河部菜津子さんというスタイリストさんがいて。
菜津子さんにリリーさんが「こいつ毅っていうんだけど、スタイリストになりたいみたいだからお前弟子にとってやってよ」って話してくれたんです。
「俺スタイリストになりたいって一言も言ったことないけど」と思いながら(笑)。
そこで菜津子さん自身はアシスタントが決まっちゃったけど、自分の知り合いのスタイリストがアシスタント探してるからと紹介してくれて。
(そこから)フリーランスのアシスタントで、色んな人のアシスタントをするようになったんです。
でその時も、さっき話したように色んな雑誌の編集者が、リリーさんの家に原稿を取りに来ているわけですよ。
そういう人たちにリリーさんが「あの時の毅っていたじゃん。あいつスタイリストやってるんだよ」って言ってくれて。その一言で、「えっ、毅くん仕事してよ」と皆さんが声かけてくれたんです。
HOT DOG PRESSとかPOPEYEとか、あとリリーさん当時は風俗情報誌とかギャル誌でも仕事してたんでそういう雑誌とか、本当にありとあらゆる媒体の編集者から声かけてもらってスタイリストデビューを果たすっていうのが始まりだったんです。
転機となった父の死。自ら表現したいことを追求するスタイリストへ
父親が亡くなったんですけど、その時自分が28歳だったんですね。
父親は高校卒業してすぐ、銀座の三笠会館という今でもあるお店で料理の修行を始めて、そこから自分のお店を所沢で開いたんですね。
一緒に生活していた時には気付かなかったんですけど、父親は自分がやりたいことを見つけて、お店を出して、3人の子供を育てて、やりたいことを全うして亡くなったんだろうなと。
自分もそうでなくちゃいけないなって思ったんですよ。
雑誌でスタイリングするのはいいんですけど、なかなか自由に表現できるようになるまでには時間がかかりそうだし、と悩んでいたので。
それで、雑誌辞めなきゃって思って、レギュラーの雑誌を全部辞めたんです。
そこから、自分が表現したいようなこと、いわゆる「作品撮り」を自分と価値観が合うようなヘアメイクさんとかカメラマンとかと一緒にスチールで撮ったりし始めたんですね。
飛躍のきっかけとなった資生堂・原田氏との出会いとジョジョ企画
小中高と幼なじみの、神宮司さんという方がいてその人が資生堂に入ったんですよ。
彼女はクリエーションの事業部にいて、そこで美容業界誌で作品を発表していて、その雑誌でスタイリングしてって言われてやったんですね。
そうしたら同じ事業部にいた原田さんというヘアメイクアップアーティストが、その作品を見て「これ誰がスタイリングやったの?」ってなって。
神宮司さんが「毅っていう友達がいて」と話したら、「えっ会わせて会わせて」という流れで原田さんと飲み行って話したんですけど、そのままなぜかカラオケに行くことになったんです。
そこで1曲も歌わないでずっとお互いオン・ザ・マイクでクリエーションについて4時間くらいずっと熱く語り合った(笑)。
そこから原田さんとの創作活動が始まって、その原田さんに「ジョジョ(の奇妙な冒険)がすごい好きだから作品撮りをやりたいんだけど、ツヨポン一緒にやってくれない?」と言われて。
それでやり始めたのが資生堂のジョジョ企画だったんです。
最初は原田さんが作品を撮ってからファイルにまとめて、「(ジョジョの作者の)荒木さんが大好きで、こういうことやってます」とジャンプ編集部に送ってたんですね。
それはもうただのファンとしてやっていて(笑)。
そんな時にたまたま、新しく出来る資生堂銀座ビルの一発目のギャラリー展示をどうしようかと担当だった原田さんの上司が企画を探していたんですね。
そういうタイミングで原田さんのジョジョを見つけて、何これってなって、集英社に問い合わせてみようってなって。
問い合わせたら「知ってます。(作者の)荒木もこれはクオリティが高いからいいよねと言っています。ぜひ、うちの事務所の名前を出していいんで」と言ってくれたんです。
晴れてジョジョの展示が実現したんですけど、それを資生堂がSNSで投稿したらバズりまくって。すごい反応で嬉しかったです。
そこから自分の仕事に広告の仕事が増えるようになったんですよ。
自分がデザインして作って、好きに表現してみたいみたいなことがどんどん増えていったんです。
プライベートでは家族を愛する、一人娘のパパ
人との縁を大事に。好きなことを好きと言える、意外性のあるスタイリストでありたい
これまでの話で分かると思うんですけど、自分自身ずっとやりたいことがあってそれに向かってひたすら頑張ってきたっていう人生ではないんですよ。
リリーさんにスタイリストになれって言われて、色々と人との縁が重なって今があって。
だからリリーさんが自分のことを他人にも自慢できるくらいのポジションになりたいな、という気持ちが強いです。
あとは今まで知り合った中で面白いなって思える人って、意外性を持ってる人が多かったので、自分もそういう人になれればなと思っているんです。
だから例えば、見た目でスタイリストっぽくありたいとは一回も思ったことがなくて。
ブランドに頼る、それも一個のファッションの表現方法ではあるけど、(ブランドに関係なく)自分が好きなものやスタイリングを相手に自信を持って紹介する。それがやっぱりスタイリストの仕事だと思うんですよね。
自分がいいなって思うものを気持ちよく着てもらいたい、それが相手の知らないブランドだったら「知らなかったでしょ」って喜んで教えられるくらいでありたい。
好きなものを自信を持って好きだっていう風に思える人が、残れる人じゃないかなと思います。
プロフィール
高橋 毅(たかはし つよし)
スタイリスト・コスチュームデザイナー・クリエイティブディレクター。
武蔵野美術大学卒業。
アーティストや俳優、広告やCMなど様々な媒体で活動中。
近年は衣装デザイン・制作やキャラクターデザインを多く手掛ける。
ハリウッド映画の衣装をするのが目標だとか。